籔内佐斗司館長の部屋

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絹谷幸二先生の逝去を悼む

 

                                  奈良県立美術館館長

                                  籔内 佐斗司

 

 8月1日の夜半、「絹谷幸二先生がお亡くなりになった」と知人からのメールが届き驚かされた。悪性リンパ腫による闘病の末とのことだが、人生100年時代といわれる昨今で享年82歳は、いささか早すぎる気がした。

私よりちょうど10歳年上で、始終お目にかかるというほど近しいお付き合いではなかったが、若い頃から大学やさまざまな会合でご一緒させて頂いた楽しい思い出がたくさんある。30数年前に、銀座の画廊でお目にかかったとき、こんなに目力の強いひとがいるのかと圧倒されたものだ。

 バブル経済華やかなりし頃に急速に知名度を上げた氏は、まさに時代が求めたアーティストだったと言えるだろう。28歳でベネチアに降り立ち、まぶしい光に触れた時、「私を束縛してきた日本的なるものが飛び散った」と日本経済新聞「私の履歴書」に書いておられるように、日本人離れした乾いた色彩感覚と強烈な表現は際だったものだった。しかし近年の作品は、仏像や日本的主題に回帰していたことは興味深いことだ。

 氏は、西洋の壁画技法の一種でfreshと同義語であるフレスコ画を得意とされた。乾く前の漆喰のうえに水で溶いた顔料で素早く描く速さが勝負で、乾燥後は下地材と顔料が一体化するために他のどの描画技法よりも堅牢だ。そして顔料が、油彩画のように乾性油に覆われることなく露出しているので、色の鮮やかさが際立つ。また速乾性のために量産が利き、「早描き、多作」を謳われてバブル時代の寵児となった理由ともいえよう。もちろん、それを支えた技量の確かさは言うまでもない。

 氏が絵を教えていた大蔵省や運輸省、通産省系のエリート官僚や若手の政財界人、文化人を囲む懇話会に私も入れて頂いたことがある。後にその人脈が絹谷幸二を押し上げたことは間違いないだろう。

 

東京藝大の教授会でお隣の席に坐ったとき、配付資料の裏に氏が何かさかんに絵を描いておられた。「なんですか?」と訊いたら、「別荘の間取りを考えてるんだ」といたずらっぽく笑われたことが忘れられない。その後、私も氏も教授会にはあまり熱心に出席しなかったので、親しくお話しする機会はなかったが、とある演歌歌手のリサイタルに招かれて明治座へ行った際に、ひょっこり絹谷ご夫妻と出会い、おつきあいの広さにびっくりしたことがある。

表現領域は絵画だけでなく、立体造形やポスター、グッズ類まで幅広く手がけられ、2001年日本芸術院賞、2014年文化功労者、2021年文化勲章と、現存作家として得られるかぎりの栄誉の殆どを受けられ、逝去の間際までその旺盛な創作意欲は衰えなかったと聞いている。東京芝の増上寺で8日に行われたお通夜、9日の告別式には夥しい参列者が詰めかけ、その人気のほどをあらためて見せつけた。

奇しくも奈良県立美術館で開催中の収蔵品展「わたしたちのびじゅつかん」のポスターに氏の作品をメインヴィジュアルで使わせて頂いている。

現代の奈良が生んだ不世出の巨匠・絹谷幸二先生のご冥福をこころよりご祈念申し上げます。

 

                                      (2025年8月10日)

  

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